私は小学生から不登校でしたが、高校卒業後は大学に進学し、企業に就職後、転職で公務員になりました。
すごく優秀だったのでは?と思われそうですが、至って普通の女の子でした。
つまり、不登校でも普通に進学して就職できるよとお伝えしたいのです。
ただ、不登校時代を振り返ったときに
「これをしたのがよかったな」
と思うポイントがいくつかあります。全日制高校への進学もそのひとつです。
考えるとそれらはすべて母が、迷いながらも導いてくれてたことでした。
もちろん、父は父で、経済的に支えてくれました。
私の意思を尊重して決めた内容もあれば、一方的に決められたルールもあります。
そのおかげで高校・大学を楽しみ、仕事を選び、結果、今平凡に幸せに子育てしています。
この記事では、その具体的な内容を次の4つの項目に分けてご紹介していきます。
- 不登校中の過ごし方
- 勉強方法
- 体力づくり
- コミュニケーション力
私の時代は、「いかに早く学校に戻るか」という風潮でしたが、今は「見守りましょう」の時代。
元当事者としては嬉しい風潮ですが、
見守るといってもいつまで?
どうやって?
どこまで自由にさせるのか?
というのが、大きな悩みになっているのではないでしょうか。
この記事が、不登校のお子さまの将来で悩み、先の見えないトンネルにいるような不安や焦りを抱えている保護者の方の参考になれば幸いです。
- 小1~不登校。中学はほぼ行けず成績オール1
- 全日制高校→公立大学→就職→転職で公務員→現在は2児の母
- 不登校受験成功の経験から不登校向けの勉強法や受験対策を発信
はじめに…家族構成と不登校の状況
家族構成
ハレママが育った家庭はこんなかんじです。
父 | 中学教師(国語)。なんでもテキトーな自由人。不登校のことで話した記憶はほとんどない。 |
---|---|
母 | 普通の主婦。短大卒。寿退社後は育児期間を経てパート勤務。 今では「あんたが不登校になって苦労したけど勉強になった」と言ってくれる。 |
姉 | 1つ上。活発で優秀。万年反抗期のTHE長女。勉強も部活も根性論で120%頑張るタイプ。 |
ハレママ | マイペースな末っ子。とりあえず姉のマネをする妹。小学校1年生から学校に行けなくなった。 |
小学1年で不登校になった経緯
もともと繊細な子だったのだと思います。保育園の人間関係でも気を遣っていたのを覚えています。
不登校のきっかけは、小学校1年生のテストで100点を取れなくなったことでした。
よく褒めてくれる両親だったので、逆にそれがプレッシャーになり、100点取れない・期待に応えられない自分が許せなかったんだと思います。
勉強に厳しい親ではなかったのですが…。
「100点じゃないとダメな子」となぜか思っていました。
「テスト受けたくない」から始まり、「学校に行きたくない」が続き、気付けば不登校になっていました。
そのまま中学生でも不登校継続
中学に上がるとき、少しだけ別室登校や部活(美術部)だけ参加することもありましたが、学校ではもはや珍獣扱いだったため長く続かず。
フリースクールも探したけれど良いところがなく、すべてをリセットするべく隣町の中学に転校しました(中2)。
けれど最初しばらく行ったきり嫌になり、中学3年生では一度も登校せず、そのまま卒業しました。
やってよかった!!
不登校中の過ごし方
日中はテレビ・マンガ・お絵かき
当初はパソコンもなかったので、テレビ(NHK教育)を見ていることが多かったです。
あとは、絵を描くのが好きだったので、ずーっと描いていました(特に上手くはない)。
マンガも好きでした。暇すぎたので、姉が図書館で借りてくる教育的なマンガもよく読んでいました。
マンガで読む歴史シリーズや偉人伝、からだの働き系、手塚治虫は、読んでいてよかったです。
部分的にでも社会や理科を学ぶことで興味がわいたり、高校の授業のときに点が線になることがありました。
↓こういうやつです。家にあった本は繰り返し読んだのでよく覚えています。地域の図書館でも借りられますよ。
やってよかった!!
ゲーム・パソコンは禁止されていたが…
不登校中のゲームは禁止されていましたが・・・、実はこっそりやっているときもありました!笑
姉から「昼間にコイン溜めといて!」という指示もあったので・・・笑(ニンテンドー64)
また、パソコンが我が家にやってきてからは、禁止されていたにもかかわらず、やはりコッソリやってました。。。
今ほど面白いゲームもYouTubeもなかったんですけどね。当時から電子機器が好きな方だったので・・・。
やっときゃよかった…
不登校中の我が家のルール
学校を休んでいる時間(日中)のルールはこんなかんじでした。
- パソコンをしない
- ゲームをしない
- 外出をしない
また、生活上のルールとして
- 朝は母が仕事に出るまでに起きる(←たたき起こされる)
- 夜はちゃんと寝る(←眠れなくても横になって目をつぶる)
これは厳しく言われました。守れなかった日もありましたが…。
やってよかった!!
いつだったか、夜中ゲームして朝昼は寝ている不登校の子がいると知り、母に「なんで私はダメなの!?」と聞いたことがあります。
そんなん身体に悪い。
よそはよそ、うちはうち。
この一言で片付けられてしまいましたが、親になった今、その気持ちと必要性がすごくわかります。
大人の今ですら、スマホで夜更かしして時間を溶かし、やるべきことを後回しにしてしまいます。子どもには制限が必要…。
マンガで歴史や偉人伝を学んだと書きましたが、ゲームやパソコンが好きなだけできる環境だったらそんなつまらなさそうなマンガには手を出していないと思います。
また、きっと自分の将来について考えることもしなかったでしょう。
ルールに反発したり、こっそりルール違反することもありましたが、結果的にこれらのルールは必要なものでした。
不登校中の勉強は2教科だけ
数学と英語だけで高校受験を乗り切った
小学3年ごろ~中学2年ごろまで、同じマンション内の学研教室に通っていました。
集団的な塾と違って、他人との競争がなかったので続けられました。
小学生では国語と算数、中学生では数学と英語の2教科のみ(週2回)。
たかが2教科ですが、されど2教科です!
やってよかった!!
数学と英語だけは平均以上にできるようになりました!
不登校の高校受験では、試験科目(2~3教科)に集中して勉強する方法をおすすめしています。
↓↓↓
好きな勉強はどんどん進めれば武器になる
特に英語が好きだったことが自分の強みになり、高校受験はもちろん、大学受験や就職でも非常に有利に働きました。
今思うと、3教科くらいやっててもよかったのでは?と思うのですが、多分経済的に厳しかったんだと思います。
また、ちょっと特殊だと思うのですが家族全員で漢字検定にも挑戦していました。
学校のテストは嫌いでしたが、漢字検定は好きでしたし、高校受験でも役に立ちましたよ。
やってよかった!!
やっときゃよかった…
スポーツ教室で体力と成功経験を得る
小さいころからよく父・姉・私の3人で近所の公園でやっていたバドミントン。
体力づくりも兼ねて小学6年生から地域のバドミントン教室に通い始めました。
練習は厳しかったけど、自分で習いたいと言い出したこともあり、中3まで頑張りました。
たった週1回の2時間程度の運動でも体力が付き、高校の体育の授業も問題なく参加できました。
高校選びや大学受験の際にも「バドミントン部があるところ」という前向きな基準ができましたよ。
やっててよかった!!
コミュニケーションの基礎は家族との会話で学ぶ
実は私、不登校で9年間引きこもっていた割に、「コミュ力が高いね」とよく言われます。
自分ではそうは思わないのですが、他人からはそう見えるようです。(ありがたいことに!)
特別な訓練をした記憶はなく、読書も苦手な子どもだったので、コミュニケーションの基礎は家族との会話で学んだんだと思います。
不登校だと学校に行っている子に比べて圧倒的に会話の数が減るので、家庭内でできるだけいろんなトピックについて楽しくおしゃべりしてほしいと思います。
家族でのなにげない会話がそれなりに楽しければそれで良いのです♪
特に、好きなものについて親に興味を持ってもらって話を聞いてもらえると、嬉しくてペラペラ語ってしまうものです。
特に女の子は、おしゃべりがストレス解消になるので、なにげない会話をたくさんしてほしいと思います。
まとめ
この記事では、私が不登校時代に「やってよかった」と感じることをご紹介しました。
簡単にまとめると、次のような内容になります。
- 親が一定のルールを決める
- 好きなこと・やる気のあることはたくさんやる
- 最低限の受験科目だけは学びを止めない
- 家族で楽しく過ごす
今できることを精一杯やること、そして、周りの大人(特に保護者)が子供を信じ、支え続けることです。
不登校期間は、本人にとっても親にとっても先の見えない不安や焦りを感じる時期だと思います。
私自身もそうでした。
しかし、振り返ってみると、母が作ってくれたルールや導き、父の支え、そして私自身の選択が、今の私を形作っていることがよくわかります。
これらの経験を通して私が伝えたいのは、「不登校でも、その後の人生を諦める必要はない」ということです。
不登校のお子さまを持つ保護者のみなさまは、将来への不安を感じているかもしれません。
しかし、子供の可能性は無限大です。
この記事が、少しでも皆様の不安を和らげ、前向きな気持ちになるきっかけになれば幸いです。